近年、日本の介護業界では不思議な現象が起こっている。激しい人手不足と言われながら、介護職員の離職率低下が続いているのだ。介護労働安定センターの調査によれば、介護職員の年間離職率は2010年代半ばの16%台から低下を続け、2024年度には12.4%と過去最低を記録した。1これは全産業平均を下回る水準であり、一見すると介護業界の雇用環境は改善しているように見える。
しかし、この現象を単純に「介護業界が魅力的になった結果」と解釈することはできない。むしろ離職率低下の背後には、より深刻な構造変化が存在している。
もっとも大きな不安は、介護事業に入る人と、出て行く人の数である。厚生労働省の推計によると、2021年の介護職員数は212万人であるが、2040年に見込まれる介護職員の必要数は272万人とされている。2現在の状況が続くと、将来(15年後)60万人程度の大幅な介護職員数の増加が必要なのである。大きな問題は、必要数を満たすために、介護業界に入ってくる人の数と、介護業界を出ていく人の数に異変が生じていることである。
【図1 介護業界に入る人と出て行く人】

厚生労働省『雇用動向調査』(各年版)産業別入職者数・離職者数(医療・福祉)3より著者作成
グラフ【図1】で見るように、2007〜2019年は、毎年30万〜39万人が入り、20万〜31万人が出て、それでも年間5万〜13万人介護職員数は増えていた。しかし、2020年頃から純増数が小さくなり、2022年になり、増加数はわずか0.5万人、2023年には-2.8万人と減少、2024年0となり、介護業界への流入増がなくなった。介護離職率が低下しているにも関わらず、介護職員数は伸びていないか、あるいは減少している(図2)。2040年に厚生労働省が見込む、272万人に対して、現在の212万人は、60万人の不足。この様な状態では、日本人のみで介護職員数を賄うことは難しい。
【図2 介護職員数の推移】

厚生労働省『雇用動向調査』(各年版)産業別入職者数・離職者数(医療・福祉)より作成
ここで、介護職員の年齢構成を見てみよう(図3)。一般に若年層は転職率が高いが、中高年層は生活の安定を重視するため離職率が低いと言われる。介護業界では40代以上の比率が高く、結果として統計上の離職率が下がりやすいのかも知れない(図4)。また地方では介護以外の雇用機会が限られるため、「辞めない」のではなく「辞められない」という状況も少なくない。一方で、事業者側も新規の求人が見込めないために、以前よりも定着努力をしていることは確かである。ただし、この定着努力は、もっとも基本の、賃金引き上げを伴っていないために、はなはだ不安定である。
【図3 介護職員の平均年齢】

介護労働実態調査の年齢構成から推計
【図4 労働者の年齢構成】

介護労働実態調査の年齢構成から推計
しかしながら、こうした努力にもかかわらず、人材不足感は依然として強い。2024年(令和6年度)の調査では、職員不足を感じている事業所は約65%に達している。4つまり、離職率は下がっているにもかかわらず、人材確保はますます困難になっているのである。
ここに介護業界の「臨界点」が存在する。
従来の介護システムは、「低賃金でも一定数の労働力が供給される」という前提の上に成立していた。しかし今後、生産年齢人口の急減が進む。2040年頃には団塊ジュニア世代が高齢期に入り、介護需要はさらに増加する一方、介護を担う若年層は大幅に減少する。このとき、現在のような低い賃金上昇率では必要な人材を確保できなくなる可能性が高い。
このような状況が進めば、ある時点で介護サービスの供給能力が需要に追いつかなくなる。その時が介護業界の臨界点である。臨界点以降は、介護報酬の大幅引き上げ、介護職の抜本的賃上げ、サービス対象者の選別、さらに部分的にはAIや介護ロボットの本格導入といった改革が避けられなくなるだろう。そして、諸外国でも見られるように、外国人労働者の大幅な増加が不可欠となる。その数は、現在よりも遥かに大きい数十万人規模に達する。
現在の介護業界は、離職率低下という表面的な安定の下で、人材不足と人口減少という巨大な圧力を抱えている。静かな均衡は続いているが、その均衡は永続的なものではない。介護業界の未来を考える上で重要なのは、離職率の低下そのものではなく、その背後で進行している構造変化を見極めることである。介護の臨界点とは、人が辞める時ではない。必要な人が入ってこなくなる時に訪れるのである。
- 公益財団法人介護労働安定センター「3.令和6年度 介護労働実態調査結果」https://www.kaigo-center.or.jp/report/jittai/ ↩︎
- 厚生労働省「第9期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_41379.html ↩︎
- 厚生労働省「雇用動向調査」https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/9-23-1.html ↩︎
- 公益財団法人介護労働安定センター「令和6年度「介護労働実態調査」結果の概要について」https://www.kaigo-center.or.jp/content/files/report/R6_jittai_chousa_press.pdf ↩︎

橋本俊明
「brIDge」主筆/公益財団法人橋本財団 理事長
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。






















