約10年前、津田塾大学のクリス・バージェス教授1は、日本が多文化社会へ向かっているのかを問いかけた。彼の答えは明確に悲観的なものだった。人口減少と深刻化する人手不足にもかかわらず、バージェスは、日本が近い将来に多文化社会になる可能性は低いと論じた。
それから約10年、そして複数の政権を経て、日本の姿は大きく変化した。2025年末時点で、日本には約413万人の外国人住民がおり2、外国人労働者も約257万人に達している3。2027年から開始される予定の新たな「育成就労制度」4も、特定技能制度への移行を可能にする仕組みとして設計されており、外国人労働者のさらなる長期的な定住につながる可能性がある。しかし、移民の増加は、日本の多文化共生を支える社会的基盤の整備よりも速く進んできた。その結果、移民の経済的包摂と、社会的・政治的包摂との間には乖離が生じている。現在問われているのは、日本が多文化社会となるために必要な制度と政治的想像力を備えつつあるのかということである。
意味のある進展も見られる。例えば、2020年には「地域における多文化共生推進プラン」が改訂された5。この改訂は、外国人住民の数と多様性の増加に対応するものであり、外国人住民の地域社会への参加と貢献をより重視する内容となった。しかし、制度的な枠組みそのものは大きく変わらなかった。このプランは、主として地方自治体がそれぞれの多文化共生施策を策定する際の指針として設計されたからである。
これは、日本の移民政策に長く存在してきた一つの特徴を反映している。国は外国人を主として労働者として管理する一方、地方自治体は外国人を住民として受け入れ、その生活に対応してきたのである。自治体は、日本語教育、医療、地域社会との関係など、定住に伴って生じる多くの実務的な課題を担ってきたにもかかわらず、入国・在留管理そのものについては限られた権限しか持っていない。日本の106の大都市を対象とした全国的な研究6では、自治体による統合の取り組みは全体として弱く、自治体間でも大きなばらつきがあることが明らかになっている。また、「多文化共生」という名称のもとで広範な地方自治体の取り組みが行われているにもかかわらず、日本には国レベルの社会統合政策が存在しないと指摘されている。
しかし、この分担を維持することは次第に難しくなっている。2026年7月に全国知事会が国に提出した提言7は、この問題を異例なほど明確に示している。そこでは、外国人住民が自治体にとっての問題として扱われてきた一方で、彼らは単なる「労働者」ではなく、「生活者」でもあり、もはや地域社会の一員であると指摘されている。外国人住民は高齢化し、その子どもたちは日本の学校に通っており、そして長期的な定住による影響は、これまで外国人労働者を多く受け入れてきた地域を越えて広がっている。
国も対応を始めている。2025年7月には、「外国人との秩序ある共生社会推進室」が設置された8。2026年1月には、政府が国民の安全・安心のための総合的対応策を策定した9。新たな枠組みは、日本語教育など統合を志向する施策と、日本の法律や制度の遵守をより強く求める施策を組み合わせている。これは重要な変化である。しかし、ここで明らかな疑問が生じる。こうした理念を支える制度的基盤はどこにあるのだろうか。
全国知事会の提言は、日本には依然として、包括的な基本法、外国人住民を受け入れるための国家戦略、国・自治体・企業それぞれの責任の明確化、恒久的な財源、そして多文化共生を専門的に調整する機関が必要だと主張している。また、現在の財政支援ですら不十分であることを指摘している。例えば、地域日本語教育の支援事業では、申請額が利用可能な予算を2億6,000万円上回ったほか、外国人・帰国児童生徒を支援する事業でも約8億8,000万円の不足が生じている。
したがって、この提言は単にサービスの改善を求めるものではない。移民を国レベルで受け入れながら、その社会的な帰結を主として地方自治体に負わせ続けることはできないという主張なのである。国は、自ら策定した移民政策がもたらす結果について責任を引き受ける必要がある。
しかし、これは本当に「統合」(integration)を意味するのだろうか。「共生」(coexistence)が問うのは、日本人と外国人がどのように平和的に共に暮らすことができるかという問題である。それに対して統合が問うのは、人々がどのように同じ社会の構成員となるのかという問題である。
日本の「多文化共生」という概念は、調和的な関係を促進しながらも、「日本人」と「外国人」の境界を温存しているとして、長年にわたり批判されてきた。新たな枠組みにも、この問題が再生産される危険性がある。外国人住民が地域社会の恒久的な構成員として認識されるようになっている一方で、政策上の統合は依然として、外国人が日本語を学び、日本の制度やルールを理解し、日本の制度に適応することとして定義される傾向にある。全国知事会自身も、外国人住民が日本語と日本のルールを学ぶための全国的なプログラムを支持すると同時に、政府や雇用主によるより強力な支援と、より明確な責任分担を求めている。したがって、日本は多文化社会に近づいていると言える。しかし、それはまだ完全な統合には至っていないのかもしれない。
バージェスの評価から10年が経ち、日本はもはや移民を一時的あるいは周辺的な現象として扱うことはできない。外国人住民はすでに、日本の職場、学校、地域社会に組み込まれている。全国知事会の提言は、この現実を認識し、それに見合った国レベルの枠組みを求めている。日本が最終的に多文化社会になるかどうかは、外国人の存在を管理することから一歩進み、長期的に日本で暮らす人々を単に「日本に住む外国人」としてではなく、日本社会の構成員として捉える社会を築けるかどうかにかかっている。
- 津田塾大学 Chris Burgess 教授 https://www.tsuda.ac.jp/academics/dept-inti/faculty/burgess.html
A Japanese multicultural society still far off(2016年10月14日)
https://eastasiaforum.org/2016/10/13/a-japanese-multicultural-society-still-far-off/ ↩︎ - 出入国在留管理庁「令和7年末現在における在留外国人数について」 https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/13_00062.html ↩︎
- 厚生労働省「「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(令和7年10月末時点)」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_68794.html ↩︎
- 出入国在留管理庁「育成就労制度」https://www.moj.go.jp/isa/applications/index_00005.html ↩︎
- 総務省「「地域における多文化共生推進プラン」の改訂」(2020年9月10日)https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01gyosei05_02000138.html ↩︎
- Charting Tabunka Kyōsei: An Assessment of Municipal-Level “Multicultural Coexistence” and Immigrant Integration Efforts in Japan(David Green) https://www.jstor.org/stable/27040271 ↩︎
- 全国知事会「外国人の受入と多文化共生社会実現プロジェクトチームリーダーによる要請活動を実施しました(2026年8月5日)」https://www.nga.gr.jp/committee_pt/project/ukeire/r08/1_13.html ↩︎
- 首相官邸「外国人との秩序ある共生社会推進室発足式(2025年7月15日)https://www.kantei.go.jp/jp/103/actions/202507/15hossokushiki.html ↩︎
- 内閣官房・外国人の受入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」(2026年1月23日)https://www.cas.go.jp/jp/seisakukaigi/gaikokujinzai/pdf/kettei_sougoutekitaiousaku_honbun.pdf ↩︎
Aichholzer Stefan(アイヒホルツァー シュテファン)
橋本財団 ソシエタス総合研究所 研究員
オーストリア出身。ウィーン大学を卒業後、大阪大学大学院で博士(人間科学)を取得。専門は日本社会のエスニック多様性で、移民の社会統合や国際結婚を研究する。2026年4月より橋本財団ソシエタス総合研究所の研究員として勤務。
※本コラムは著者個人の見解です。



























