永住者が多いことは社会にとって悪いことなのか

2026年8月、出入国在留管理庁は、永住許可に関するガイドラインの厳格化案を公表した1。同ガイドラインは同年2月にも厳格化されており2、今回の提案はさらなる規制となる。また数年前には、永住資格の取り消し規定も設けられた3。このように近年、政府は、永住資格の取得・維持要件を厳格化する方向性に舵を切っている。こうした厳格化の背景には、保守層を中心として日本社会における永住者の増加を懸念する声がある。

日本に暮らす外国人にとって、永住資格は、帰化によって取得しうる日本国籍を除けば、最も安定した法的地位を意味する。それゆえ、この資格要件を厳格化することは、かれらを不安定な地位にとどめるなど大きな影響を及ぼしうる4。では、日本社会にとってはどうだろうか。永住者が多いことは、社会にとって悪いことなのだろうか。

まず経済的に考えてみよう。永住者の場合、日本での活動に制限がないため、どのような仕事に就くのも自由であるし、転職や起業も自由に行える。この点は、就労する外国人に認められている在留資格(「技術・人文知識・国際業務」「特定技能」など)が職種や転職に制約を設けていることと対照的である。市場の観点からすると、永住者は相対的に自由な労働者であるのに対し、就労資格で働く外国人は不自由な労働者といえるだろう。本来、職業選択の自由は基本的人権の一つである。同時に、自由な労働者は、不自由な労働者と比較して、自らの能力を発揮できる産業や企業に移動できることで、生産性の向上やイノベーション、資源の最適配分をもたらし、経済的なプラスをもたらす可能性が高いことはよく知られている5。また日本経済にとっても、今後の労働力需要の変化にあわせて、産業や職業をまたいで労働者の移動を促進していくことが重要とされている6。つまり永住者の方が、市場の観点からはプラスである。

また自らビジネスをする場合でも、起業家を想定した「経営・管理」の在留資格の場合、昨今の要件の厳格化もあってさまざまな制約があるが7、永住者の場合、そうした制約はない。つまり永住者の方が起業しやすくなる。アメリカをはじめ各国では、移民による起業は経済や社会を活性化すると考えられている。例えば、シリコンバレーのテック企業では、移民や移民背景をもつ人びとが大きな役割を果たしていることはよく知られているだろう。実際、グローバル化の中で各国は、優れた能力や資産をもつ移民をどのように惹きつけるかを模索してきた。日本でも2010年代には、優れた外国人を惹きつけるため「高度専門職」の在留資格を設け、かれらのうち一定の要件を満たした人は最短1年で永住資格を取得できるように変更した。当時の安倍首相は、「優秀な人材を海外から呼び込みたい」として、「永住権取得までの在留期間を世界最短とする」とその意図を述べていた8。しかし今回の永住資格の厳格化では、こうしたビジネスをはじめ社会に価値や富をもたらす移民というイメージは後景に退いてしまっている。

次に政治的には、永住者の割合が多いことはどのような意味があるだろうか。民主主義にとって重要なのは、社会の成員が対等な立場で参加し、自らが影響を受ける法や政策の決定過程に自ら参加できることである。自分が決定過程に参加した訳でもない法にしたがうよう命じられるのは民主主義とはいえないし、社会の中にそうした政治的決定から排除されている個人や集団がいることは望ましいことではない。こうした発想のもと近代社会では、社会成員の身分を取り払い、地位の平等を保障することによって民主主義社会を築いてきた。具体的には、選挙権から資産制限を取り払い(普通選挙権の実施)、女性も参加できるようにするなど対象者の拡大と成員の平等を保障してきた。

この流れの中で、第二次大戦後、ヨーロッパなどでは、定住外国人を民主主義社会に包摂する取り組みが模索されてきた。もちろん外国人と国民の地位の平等を完全に達成した国はないが、それでも多くの国は、民主主義の観点から、定住した外国人と国民の間の不平等をできるだけなくすことを望ましいと考え、重国籍や地方参政権の保障などを実施してきた。この視点から考えると、永住資格の厳格化によって多くの外国人を不安定な地位にとどめる政策は、社会に二級市民を作り出し、不平等を固定化する懸念がある。むしろ安定した地位と社会参加の機会を外国人に保障することこそが、民主主義社会としての日本社会を強靭にするといえるだろう。

最後に、文化的にはどうだろうか。日本では、外国人に日本の文化や言葉、慣習を守るよう望む声が強い。それはわからないでもない。しかし外国人もまた、我々同様、インセンティブで動く人間である。日本に永住できる可能性が低いならば、日本の文化や言葉を学ぼうとするインセンティブが働きにくくなることは当然のように思われる。特に日本語は、日本でしか公用語として使われていない言葉であり、日本以外で生まれた人にとって学習障壁が高い言語である。その中で日本語を学ぼうとする意欲は、日本で長く暮らし、安定した職に就ける可能性が高いなど、日本語を話せることが長期的にメリットになりうるという目算からくるはずだ。こうした点から考えると、永住資格の厳格化は、外国人にとって、日本で長期的に暮らすことのメリットを減らし、結果として、日本の文化や言葉を学ぶ意欲にも影響する可能性がある。つまり現在の日本の政策は、外国人に日本の文化や言葉を学ぶよう要求する一方で、かれらの学習への意欲を弱める方策も同時にとっているという意味でチグハグである。

永住資格の厳格化、在留資格の更新・変更手数料の大幅値上げ、在留資格「経営・管理」の厳格化など、昨今の外国人に関する政策をみると、私はイソップ童話の「北風と太陽」を思い出す。旅人にコートを脱がそうと北風と太陽が力比べをする、あのお話だ。よく知られているように、北風は冷たい風を吹き荒らす一方、太陽はぽかぽかと暖かい日差しを照らし、結果として、旅人は太陽の力でコートを脱ぐ。その含意は、厳格さより、相手に動機づけを与え、やる気にさせる方策が優るというものだ。しかし、現政権による外国人政策は、この北風のようなものである。外国人を秩序の攪乱者として捉え、監視対象であるかのように厳格な政策を矢継ぎ早に打ち出している。だが、太陽の光に暖められて旅人が自らコートを脱いだように、外国人がその行動を取りたい、そのようなインセンティブが働くような方策こそが望ましい政策ではないだろうか。特に日本の場合、人口減少と高齢化が進む中、国籍やその他の属性にかかわらず、自らの潜在能力を発揮し、社会や経済にコミットしたいと考える人びとを増やしていくことは社会の持続可能性を高めることでもある。とするならば、移民を秩序の攪乱者として見るのではなく、社会の担い手、変革者として捉え、その力を発揮できる環境を整えることこそが求められているのではないだろうか。そして外国人に、永住者資格など安定した法的地位を保障することは、その環境整備の重要な一里塚である。

  1. 法務省「法務大臣閣議後記者会見の概要」(2026年8月4日)https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00905.html ↩︎
  2. 出入国在留管理庁「永住許可に関するガイドライン(令和8年2月24日改訂)」https://www.moj.go.jp/isa/applications/resources/nyukan_nyukan50.html?hl=&lang=ja ↩︎
  3. 出入国在留管理庁「令和6年入管法等改正について」「出入国管理及び難民認定法及び外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律の一部を改正する法律」https://www.moj.go.jp/isa/05_00045.html ↩︎
  4. こうした懸念については、例えば、特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク「永住許可に関するガイドラインの厳格化に強く反対し、撤回を求める声明」を参照。https://migrants.jp/news/voice/20260807.html ↩︎
  5. 内閣府・平成27年度 年次経済財政報告「第2章 成長力強化に向けた労働市場の課題」https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je15/h02-02.html ↩︎
  6. 厚生労働省「令和4年版 労働経済の分析 第Ⅱ部労働者の主体的なキャリア形成への支援を通じた 労働移動の促進に向けた課題」https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/roudou/21/21-1.html ↩︎
  7. 2025年10月より、在留資格「経営・管理」は、資本金が従来の500万円から3000万円以上、日本に居住する常勤職員を1名以上雇用するなど要件が引き上げられた。出入国在留管理庁「在留資格「経営・管理」に係る上陸基準省令等の改正について」https://www.moj.go.jp/isa/applications/resources/10_00237.html ↩︎
  8. 日本経済新聞 「永住権取得までの在留期間、首相「世界最短に」」(2016年4月19日)https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL19HP8_Z10C16A4000000/ ↩︎

髙谷 幸(たかや・さち)

東京大学大学院准教授

専門は社会学・移民研究。日本における外国人や非正規移民、移民女性、移民政策などを研究し、社会の境界線による排除や周縁化、人々の連帯のあり方を幅広く論じる。著書に『追放と抵抗のポリティクス』(ナカニシヤ出版)など。

※本コラムは著者個人の見解です。