近年、日本では外国人労働者の受け入れが急速に進み、インドネシアやベトナム、フィリピンなど東南アジア諸国から多くの人々が来日している。介護、製造業、建設業、農業など様々な分野で彼らの存在は不可欠となり、日本社会における多文化共生の重要性も高まっている。しかし、このような人の移動は決して新しい現象ではない。実は約100年前、日本人自身が仕事や商機を求めて東南アジアへ移住していたのである。この歴史は今日あまり語られることがなくなったが、現在の移民をめぐる議論を考える上で重要な示唆を与えている1 。
明治維新後、日本は急速な工業化と近代化を遂げた一方で、人口増加や地方経済の停滞といった課題に直面した。その結果、多くの日本人が海外移住を選択するようになった。当初はハワイやアメリカ大陸への移住が中心であったが、20世紀初頭になると東南アジアへの進出も活発化した。特にオランダ領東インド(現在のインドネシア)は、豊富な資源と拡大する市場を有していたため、日本人移民にとって魅力的な移住先となった2 。
1898年にオランダ領東インドで確認された日本人数は614人に過ぎなかったが、その後急速に増加し、1930年には約6,949人に達したとされる1 。彼らは単なる労働者ではなく、商人、企業家、漁業関係者、医師、写真館経営者など多様な職業に従事していた。ジャカルタ、スラバヤ、メダン、マカッサルなど主要都市には日本人コミュニティが形成され、日本人学校や日本人会も設立されるようになった3 。
こうした移住の背景には、経済的要因だけでなく「南進論(なんしんろん)」の存在があった。南進論とは、日本の発展に必要な市場や資源を南方地域、すなわち東南アジアに求める思想である。当初は民間主導の経済進出を支える考え方であったが、1930年代以降は国家政策とも結びつき、日本の対外戦略の重要な柱となった4。東南アジアへ渡った日本人商人たちは、その意味で南進論を体現する先駆者でもあった。
オランダ領東インドにおける日本人の活動の中で特に注目されるのが、日本人商店、いわゆる「トコ・ジュパン(Toko Jepang)」の存在である。これらの商店は1910年代から1940年代初頭にかけて各地に広がり、日本製の繊維製品、雑貨、石鹸、医薬品、自転車部品などを販売していた。当時の日本製品は欧米製品に比べて価格が安く、現地住民に広く受け入れられた。その結果、日本人商店はジャワ島各地の市場で重要な地位を占めるようになった5。
特に1920年代から1930年代にかけて、日本人商店の数は大きく増加した。研究によれば、戦前のオランダ領東インドには数百軒規模の日本人商店が存在し、その多くがジャワ島に集中していたという5 。代表的な商店としては、スラバヤの「Choya」、スマランの「Nanyou Shoukai」や「Ogawa」、ジョグジャカルタの「Fuji」などが知られている。また、1930年代にはバンドンの「Tjijoda(千代田)」が広く知られ、西ジャワにおける日本人商業活動の象徴となった。彼らは中国系商人や欧州系商人と競争しながらも、地方都市や農村部まで販路を広げ、分割払い制度や巡回販売など独自の販売戦略を展開した。このような柔軟な商売方法は、日本製品の普及に大きく貢献した5 。
西ジャワ州も日本人商人の重要な活動拠点であった。バンドン、チレボン、ガルートなどには日本人商店や企業が進出し、地域経済の一部を担っていた。とりわけガルートには比較的大きな日本人コミュニティが形成され、日本人旅館や商店、写真館なども存在していたことが記録されている6。現在ではその痕跡の多くが失われているものの、戦前の西ジャワにおいて日本人が決して珍しい存在ではなかったことが分かる。
また、日本企業も積極的に市場開拓を行っていた。森下仁丹をはじめとする日本企業は医薬品や日用品を輸出し、日本製品のブランドイメージ向上に努めた。広告には日本の近代性や品質の高さが強調され、多くの現地住民に支持された7 。このような活動は単なる経済進出にとどまらず、日本文化や日本に対するイメージ形成にも大きな影響を与えた。
しかし、1930年代後半になると、日本の南進政策は軍事的色彩を強めていく。一部の日本人商人や企業関係者は情報収集活動にも関与したとされ、1942年の日本軍によるオランダ領東インド占領へとつながっていった1 。そのため、日本人移民や商店の歴史は経済史だけでなく、植民地史や国際関係史とも密接に結びついているのである。
今日、日本では外国人労働者の受け入れ拡大が進む一方で、移民や多文化共生をめぐる議論も活発化している。しかし、日本人自身もかつては海外で仕事を求め、移民として生活していたという事実は忘れられがちである。東南アジアへ渡った日本人移民や日本人商店の歴史は、「移民を送り出す国」であった日本の姿を私たちに思い起こさせる。現在の東南アジアから日本への移住の流れは、ある意味で100年前とは逆方向の人の移動なのである。こうした歴史を振り返ることは、移民を一方的な「受け入れ」の問題としてではなく、人類共通の経験として理解するために不可欠であろう。
さらに注目すべき点は、このような日本人海外移民の歴史が、現在の日本社会では必ずしも広く共有されていないことである。日本では外国人労働者の増加に伴い、「外国人との共生」や「移民受け入れの是非」が盛んに議論されている。しかし、歴史を振り返れば、日本人自身もかつては移民として海外へ渡り、現地社会の中で生活基盤を築いてきた。当時の日本人商人たちは言語や文化の違いに直面しながらも、東南アジア各地で新たな生活を切り開いていったのである。2024年末現在、日本国内の在留外国人数は約377万人に達し、過去最高を記録している8が、こうした状況を理解する上でも、日本がかつて移民送り出し国であったという歴史的事実は再認識されるべきであろう。
オランダ領東インドにおける日本人商店や移民社会の歴史は、単なる過去の逸話ではない。それは、日本がかつて「移民送り出し国」であったことを示す貴重な歴史的経験である。現在、多くのインドネシア人やベトナム人が日本で働き、地域社会の一員として暮らしている。その姿は、100年前にバタビアやスラバヤ、スマラン、バンドン、ガルートで商売を営みながら生活していた日本人移民たちと重なる部分も少なくない。人の移動の方向は変わっても、より良い生活や将来を求める願いは変わらないのである。だからこそ、日本社会は自らの移民の歴史を再発見し、多文化共生を「新しい課題」としてではなく、自らも経験してきた歴史の延長線上にある課題として捉える必要があるだろう。忘れられた東南アジアへの日本人移民の歴史は、現代日本が直面する移民社会への転換を考える上で、多くの示唆を与えているのである。
- Gotō, K. (1997). Tensions of Empire: Japan and Southeast Asia in the Colonial and Postcolonial World. Athens, OH: Ohio University Center for International Studies. ↩︎
- Wardoyo, S. (2013). Jawa dalam pandangan imigran Jepang di Hindia Belanda pada awal abad ke-20. IZUMI, 1(1), 1–12. https://ejournal.undip.ac.id/index.php/izumi/article/view/6231 ↩︎
- Shiraishi, S., & Shiraishi, T. (Eds.). (1998). Orang Jepang di Koloni Asia Tenggara. Jakarta: Yayasan Obor Indonesia. ↩︎
- Murayama, Y. (1988). Pola penetrasi ekonomi Jepang ke Hindia Belanda sebelum perang. In S. Shiraishi & T. Shiraishi (Eds.), Orang Jepang di Koloni Asia Tenggara (pp. 25–56). Jakarta: Yayasan Obor Indonesia. ↩︎
- Wardoyo, S. (2019). Strategi dagang dan permasalahan toko Jepang di Hindia Belanda sebelum Perang Dunia II. IZUMI, 8(1), 38–51. https://doi.org/10.14710/izumi.8.1.38-51. ↩︎
- Aoki, S. (2017). Indonesia di mata masyarakat Jepang di Hindia Belanda 100 tahun yang lalu dalam kartu pos bergambar foto. The Daily Jakarta Shimbun. https://www.jakartashimbun.com ↩︎
- Astuti, M. S. P. (2008). Apakah mereka mata-mata? Orang-orang Jepang di Indonesia 1868–1942. Yogyakarta: Ombak. ↩︎
- 出入国在留管理庁. (2025). 令和6年末現在における在留外国人数について. https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/13_00047.html ↩︎
参考文献
JICA横浜 海外移住資料館. 日本人の海外移住の歴史. https://www.jica.go.jp/jomm/knowledge/index.html
国立国会図書館. (2006). 日本人の海外移住の歴史. https://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200612_671/067103.pdf
Andi Holik Ramdani(アンディ ホリック ラムダニ)
橋本財団 ソシエタス総合研究所 研究員
インドネシア出身。同国の教育大学を卒業後、東北大学大学院で宗教的マイノリティー留学生への対応を研究。地域の多文化共生やインドネシア人労働者の支援活動に従事し、現在は橋本財団ソシエタス総合研究所で移民政策や在日労働人材の実態調査を行う。
※本コラムは著者個人の見解です。
























