本稿は読者よりご投稿をいただいたコラムであり、内容はすべてご著者の見解です。
「日本はなぜ元気を失ったのか」という記事1の中で、アニマルスピリッツ低下が論じられている。日本のアニマルスピリッツの低下は、自己責任論の蔓延が一因ではないか。アニマルスピリッツとは、リスクを取って何かに挑戦しようとする意欲のことだ。失敗してもやり直せる社会でなければ、この意欲は育たない。
その根の深さを示す数字がある。Pew Global Attitudes Projectの調査「What the World Thinks in 2007」2では、「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と答えた人の割合を国別に比較している。日本は38%で、調査対象国の中で断トツの最多だった。多くの国では自己責任論はせいぜい一部の意見だが、日本ではそれが多数派に近い感覚として共有されている。
英国の地下鉄では「mind the gap」と言う。米国の「watch your step」と似た別の言葉だ。米国版は「足元に注意せよ」、英国版は「その溝に注意せよ」。前者の意識は乗客自身にあり、後者は乗客と乗客の間に空いた空間にある。世界で幅を利かせてきたのは「足元」、つまり自己責任の意識だ。新自由主義のもとで転んだ者は「自己責任」として切り捨てられてきた。日本の38%という数字は、その意識の極端な現れだろう。
しかしこの意識のままでいいのか。失敗が自己責任として切り捨てられる社会では、誰も挑戦しなくなる。改革は起きず、自己保身と現状維持が至上命題になる。どこかの国のように。
特に大事なのは、いわゆるインテリ層が社会の下層をmind(認識)することだ。「大学に行けばいいのに。アルバイトするより勉強の方がコスパいい」とは簡単に言える。しかし社会階層によって事情は異なる。大学に行けない人は、来月の家賃や明日の食費のために今働いている。数年後にようやく就けるかもしれない専門職の給与は、時間割引率の高い階層にとっては非現実的な話なのだ。彼らは公正世界仮説を信仰している。努力すれば報われる。従って、特に先進国における貧困は自己責任である、と。小中高と塾に通って有名大学へ進学したインテリたちは、努力を崇拝している。しかし彼らは気づかない。学生時代、アルバイトをせず勉学に集中できたのは、それを許す親の経済的な余裕があってこそだと。貧困家庭では今も子供が生産財。子供の教育にお金をかけられない家では、子供にも稼がせるしかない。大学なんて行かせられないから高校卒業後に就職させる。
反対に、貧困層もまた「金持ち」と話した方がいい。富裕層はおおむね自らの特権性に無自覚だが、社会秩序の維持を重視し、協力し合うことが自らの利益になると知っている。一方、現代の、特に日本の貧困層は、同じ貧困層を叩きがちだ。生活保護を減らせと貧者ほど声高に言う。生活保護費は、世界規模のエネルギー利権や資源利権、食糧利権、ネット広告収益と比べれば、はるかに小さい。貧者同士で罵り合うのは不毛だ。直接話せば彼らがいかに、ふかふかのソファの上で、机上の空論を並べ立てているのかがわかる。スーパーマーケットに行ったことのない政治家の決める給付政策が、その場しのぎでしかなく、その場しのぎだとしても心許ないのは、そのせいだろう。彼らは生活を知らない。生活者を知らない。話せば怒りが湧いてきて、同じ貧困層を叩くことは減るかもしれない。
まとめると、富裕層は能力主義に陥りがちで、貧困層は自由主義、つまり福祉を切り捨てる小さな政府を夢見がちだ。どちらも内集団バイアスの影響を受けすぎている。両者を繋ぐのは博愛であり、それにはまず自分とは異なる社会階層をmindすることだ。「溝」を見ないまま「足元」だけを意識する社会に、アニマルスピリッツの回復はない。
「お前の自己責任だ」という、社会が個人へ向ける刃は、やがて社会自身に返ってくる。そんな社会では誰も挑戦しない。失敗したら自己責任だと謗られてしまうのだから。
依然として経済的な階級が存在することを、まず認識する必要がある。自己責任という考えから目を覚まし、誰もが挑戦できる場を整えること。挑戦する人を笑わないこと。アニマルスピリッツの回復は、そこから始まる。
- brIDge:オピニオンズ「日本はなぜ元気を失ったのか 人口減少と「アニマルスピリッツ」、そして移民という選択」 https://bridgejapan.net/268/ ↩︎
- ピュー・リサーチ・センター:世界各国の国民はグローバル貿易を歓迎するが、移民は歓迎しない。
第1章 地球規模の変化に関する見解 セーフティネットへの継続的な支援(2007年10月4日)https://www.pewresearch.org/global/2007/10/04/chapter-1-views-of-global-change/#continued-support-for-a-safety-net ↩︎
東沖 和季 さん(ペンネーム)

















