2026年5月11日、茨城県が「不法就労通報報奨金制度」の運用を開始した。不法就労を助長する事業者等に関する情報の提供者に報奨金を支払うこの制度は、自治体が独自に導入するものとしては全国初の試みである。
一方で、茨城県弁護士会や関東弁護士会連合会からは「外国人への差別と偏見を助長する」として撤回を求める声明が発表され、市民団体による抗議行動も行われている。制度の賛否は早くも大きく分かれている。
本稿では、制度の正確な仕組みを確認した上で、自治体職員にとって最も本質的な問い「不法就労の是正という国と警察の役割を、地方自治体はどこまで担うべきなのか」を考えるための論点を整理する。
制度の仕組み 何が対象で、何が対象外か
茨城県が公式サイトで公開している「通報ガイドライン」に基づくと、本制度の構造は以下の通りである。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 通報の対象 | 不法就労者を雇用する事業者及び不法就労者をあっせんするブローカー |
| 通報の対象外 | 外国人労働者個人に関する通報は受け付けない。見た目や国籍など、個人の属性のみを理由とする通報は固くお断りする |
| 通報方法 | 専用の「不法就労情報提供システム」(いばらき電子申請・届出サービス)からのみ受付。電話・メール・直接訪問は不可 |
| 報奨金額 | 原則1万円 |
| 支払条件 | 通報の結果、不法就労助長罪での逮捕につながったものなど、特に有益な情報に対して支払われる。不法就労助長罪以外の罪状での摘発や在宅起訴等で逮捕に至らなかった場合は対象外 |
| 根拠 | 現時点では条例ではなく、「不法就労通報報奨金制度取扱要項」(要綱)に基づく運用 |
※茨城県「不法就労に関する情報の通報について」を基に編集部で作成。https://www.pref.ibaraki.jp/soshiki/shokorodo/rosei/tsuho.html
この制度の最大の特徴は、「不法就労をしている外国人個人」ではなく、「不法就労を助長する事業者側を取り締まる」仕組みである点にある。県は公式サイトで「多数の外国人が農場で働いている」「留学生がアルバイトをしている」といった個人の属性のみを通報理由とする行為を「不適切な通報」の例として明示し、受け付けない方針を明確にしている。
通報に当たっては、通報者本人の氏名・住所・電話番号に加え、運転免許証等の身分証明書の写しの提出が求められる。匿名での通報は想定されておらず、提供された情報に関する調査状況や報奨金支払いの可否についての問い合わせには一切応じられないとされている。
制度をめぐる評価 賛否の構図
本制度をめぐっては、導入前から賛否が分かれている。
肯定的な見方
制度を推進する立場からは、次のような声がある。
① 執行部の立場
大井川和彦知事は「地方社会を揺るがす不法就労を是正するのは県の責務」と述べ、制度導入の意義を強調している。「不法就労は法令違反であり、強い姿勢で臨むのは当然」という立場である。
② 県議会における支持
第1回定例会(2026年2月26日〜3月24日)では、予算案の採決において自民党などの賛成多数で可決されている。県議会与党会派においては、制度の必要性を認める立場が多数を占めたと見られる。
③ 県民の側の切実な背景
茨城県の不法就労者(違反者)数は令和6年で3,452人と、4年連続全国最多である。読売新聞も「県民の間に根強い不法就労への不満や不安がある」と指摘しており、この制度はそうした県民感情を背景としている。
④ 制度設計上の特徴
通報の対象を「不法就労を助長する事業者」に限定し、外国人個人を対象から外している点は、制度設計上の一定の配慮と言える。全国初の試みとして、他自治体の参考事例となる可能性も指摘されている。
懸念の声
茨城県弁護士会は2026年3月、「外国につながる人々が就労しているという状況を一般市民に監視させ、意識化させることは差別や偏見を助長する」として、制度の撤回を求める会長声明を発表した。関東弁護士会連合会も同趣旨の理事長声明を公表している。
また、5月11日の運用開始当日には、県庁前で市民団体「牛久入管収容所問題を考える会」のメンバーら約10人が「分断をやめろ」などと書かれたプラカードを掲げて抗議行動を行った。同会は「この制度は排外主義的な環境を後押しするものだ」と批判している。
県が実施したパブリックコメントには474人・617件の意見が寄せられ、制度への関心の高さを裏付けた。
制度の経緯 ここまでの流れ
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2月18日 | 県が2026年度当初予算案で制度創設方針を発表 |
| 2月24日〜3月25日 | パブリックコメントを実施(474人・617件) |
| 3月11日 | 茨城県弁護士会が会長声明で制度撤回を求める |
| 3月24日 | 第1回定例会で予算案可決(自民など賛成多数) |
| 5月11日 | 制度運用開始。同日、市民団体が県庁前で抗議行動 |
| 6月2日 | 茨城県議会第2回定例会開会予定。本条例案の提出が焦点 |
【視点】 「国と警察の仕事」を自治体が担うことの是非
本稿で最も掘り下げたいのは、「不法就労の通報受理・管理という、本来は国(出入国在留管理庁)や警察が担うべき機能を、地方自治体が独自の制度として行うことの妥当性」である。
この論点は、以下のように整理できる。
論点①:国と地方の役割分担 自治体は「国の業務を肩代わり」をするべきか
出入国管理は、国の専権事項(国の責任において処理されるべき事務)と位置づけられ、不法就労助長罪(入管法第62条)の捜査・逮捕は警察法第2条に基づく警察の任務である。
茨城県は「不法就労を是正するのは県の責務」と位置づけているが、この考え方が一般化した場合、全国の自治体が国・警察の業務を肩代わりする構造が生まれることになる。自治体にその人的・財政的リソースが十分にあるのか。
また、国が本来担うべき業務を自治体が代行することが、長期的に見て適切な役割分担と言えるのか。制度の運用実態を検証する中で、この根本的な問いを据えておく必要がある。
- 何を国に任せ、何を自治体が担うのか。その線引きを、自治体は自らの方針として明確に打ち出せているか。
- 今回の制度が一般化した場合、全国の自治体に同様の負担が転嫁される可能性はないか。
- 県の予算(報奨金分20万円)は小幅だが、通報が殺到した場合の受理・仕分け・警察への情報提供という業務負担を、現場の職員が持続可能な形で担えるのか。
論点②:窓口の二重性 「共生の窓口」と「監視の窓口」の緊張関係
県の労働政策課には、雇用労働に関する様々な相談が寄せられる。その中には、当然、在住外国人からの生活相談や労働相談も含まれる。同じ組織の中に「通報の受け皿」と「支援の窓口」が併存することは、現場職員にどのような影響を及ぼすのか。
仮に、通報制度の存在が外国人住民の行政窓口への相談行動を萎縮させるならば、生活課題を抱える世帯が「見えない存在」になり、医療・教育・福祉へのアクセスが低下するリスクも否定できない。
論点③:制度設計のプロセス 要綱ベースの限界
本制度は現時点では条例ではなく、執行機関である知事の権限で定める要綱に基づいて運用されている。パブリックコメントは実施されたが、議会における民主的コントロールのプロセスを経ずに制度が先行して動き出した点については、手続き上の議論が残る。6月2日開会の県議会で本条例案が提出されるかどうかが、今後の焦点となる。
全国の自治体が問われていること
茨城県のこの動きは決して「対岸の火事」ではない。全国の自治体は、以下の問いを突きつけられている。
1.自自治体は、外国人住民を「共生の対象」として見るのか、「管理の対象」として見るのか、その両方か
理想論ではなく、窓口業務の現場レベルでの立ち位置を明確にする必要がある。
2.国に対してどのような役割分担を求めるのか
国がやるべきことと自治体がやるべきことの線引きを、具体的な政策提言として示せるか。茨城県の事例は、この線引きを再考するきっかけとなる。
3.「通報の受け皿」になることのトータルコストは持続可能なものか
人件費・システム費・風評リスク・住民間の分断リスクを含めた総合的なコスト評価が必要ではないか。
おわりに
6月2日、茨城県議会第2回定例会が開会する。本条例案が提出されるかどうか、そして提出された場合の議論の行方は、全国各地の自治体にとって注視すべき先行事例となる。
本稿は、茨城県の制度そのものの賛否を論じることを目的としていない。「国や警察が担う業務の一部を自治体が引き受ける」という構造が、現場の自治体職員にどのような影響を与えるのか。その論点を可視化し、地方自治体が「自分の地域ではどうあるべきか」を考えるための材料を提供するものである。
編集部では、今後もこの制度の運用実態と他自治体への波及について継続的に取材し、報告していく。
参考情報
茨城県「不法就労に関する情報の通報について」(公式サイト)
https://www.pref.ibaraki.jp/soshiki/shokorodo/rosei/tsuho.html
関東弁護士会連合会「茨城県による『不法就労』通報報奨金制度導入に反対する理事長声明」
https://www.kanto-ba.org/declaration/detail/r07a07.html
出入国管理及び難民認定法
https://laws.e-gov.go.jp/law/326CO0000000319














